「ごめん」のいくつか
アヤのことばのメモ #4——アヤのシリーズ番外編

小川アヤ、高校二年、一組。水曜日。学校帰りに、駅前のチェーンのカフェに寄った。ガラス戸の内側は、空調が、少し効きすぎていた。

「ごめんなさい、これじゃなくて」

レジで、ホットの紅茶を頼んだ、つもりだった。レジの男の人は、若い、たぶん大学生のアルバイトで、エプロンの下のシャツの袖が、片方だけ、まくれていた。「ホットティーですね」と確認が返ってきて、私は「はい」と答えて、お金を払った。

受け取りカウンターに、私のドリンクが出てきた。透明なプラスチックのカップに、氷と、冷たい紅茶が入っていた。アイス、だった。受け取りかけた手を、宙で、止めた。

レジに戻った。次の客の会計が終わるまで、横に立って、待った。

「ごめんなさい、これじゃなくて」と、私は、言った。冷たいカップを、軽く、上に持ち上げて、見せた。

「あ、ホットでしたよね、申し訳ございません」と、男の人は、すぐに頭を下げた。「すぐ、お作り直します」。私は「お願いします」と答えた。

カウンターの前で、待ちながら、自分の「ごめんなさい、これじゃなくて」のことを、ちょっと、考えた。注文の取り違えの責任は、たぶん、私にはない。ないけれど、「ごめんなさい」を頭につけた。「これじゃないんですけど」では、相手をまっすぐ咎めてしまう。「すみません、これじゃなくて」では、丁寧すぎて、距離が急に広がる。「ごめんなさい、これじゃなくて」は、その、ちょうど、間で、間違いを、半分ずつ引き受けるくらいの距離だった。義務論者の私は、責任の所在を、ちゃんと引き受けたいほうの人間だった。けれど、ちゃんと引き受けるというのは、「全部、相手のせいです」と線をまっすぐ引くことでは、ないらしかった。意識して選んだのではなく、口から「ごめんなさい」が、自然に、先に出た。

あたたかいティーバッグの紅茶が、新しいカップに入って、出てきた。カップの側面が、指に、ちゃんと熱かった。

「ごめん、お兄ちゃんの」

家に帰ると、リビングのソファに、兄が横向きに寝そべって、ゲームのコントローラーを両手で持っていた。兄は、大学の二年で、片道一時間半かけて通っている。今日は講義が早く終わった日、らしかった。

「おかえり」と、兄は画面のほうを向いたまま言った。私は「ただいま」と返して、鞄を部屋に置いた。

夕飯の前に、冷蔵庫を開けた。下の段に、コンビニの、小さなプリンが、ひとつ入っていた。私はそれを出して、スプーンで、全部、食べた。食べ終わって、容器をすすいで捨ててから、それが兄の買ってきたプリンだった、ということを、思い出した。昨日コンビニで買って、まだ食べていない、という話を、お母さんから夕方に聞いていた。

リビングに、戻った。兄は、ゲームを、まだ、続けていた。画面の中で、何かのキャラクターが、別のキャラクターを、追いかけていた。

「お兄ちゃん」と、私は、言った。兄は「ん」と、画面のほうを向いたまま、答えた。

「ごめん、お兄ちゃんの、プリン、食べた」

兄は、ゲームのコントローラーから、片手を、離した。離した手で、画面を、ポーズした。ポーズして、私のほうを、振り返った。「え、まじか」と、笑った。「いいよ、別に。明日、買ってくる」。それから、コントローラーを、もう一度、両手で持って、ゲームを、再開した。

「ごめん」の三音は、口から出るときに、軽かった。レジで言った「ごめんなさい」とは、ちがう軽さだった。レジのほうは、相手との距離を調整する五音だった。お兄ちゃんへの「ごめん」は、調整ではなくて、家の中で毎日すれ違うときの、潤滑のための三音だった。重く謝ると、兄はたぶん困る。困るから、軽く謝る。軽く謝るというのは、責任を軽く見ている、ということでは、ない。家の中の重さに見合う重さを、選ぶ、ということだった。

家の中の「ごめん」は、深くは潜らない。深く潜られると、家族は、たぶん、息が苦しい。

同じ三音

夕飯のあと、自分の部屋で英語の宿題を開いた。プリントの一行目に、たまたま、sorryという単語があった。文脈は、知らない人に道を塞いだ子どもが、軽く謝る、という場面の、たぶん、それだった。

レジでの「ごめんなさい」と、兄への「ごめん」は、私の中では、別々の重さだった。別々の重さなのに、英語にしたら、たぶん、どちらもsorryになる。なるけれど、私は英語に揃えたいわけでは、なかった。日本語の「ごめん」と「ごめんなさい」のあいだに、私が距離の調整を置いている、ということが、そのまま、見えていれば、よかった。

同じ「ごめん」でも、ミユには、もっと、慎重に出している。ミユは、私の「ごめん」を軽くは受け取らないほうの友達だった。重く受け取る友達に軽く出すと、相手の中で、重く、置き直されてしまう。一組の別の子は、私が「ごめん」と言うたびに、「いやいや、全然」と、手をひらひら振って、流す。流すというのは、その子のほうのほぐし方だった。ミユは、ほぐすのが、たぶん、得意ではない。私も、得意ではない。だから、私とミユは、お互いに「ごめん」を、慎重に扱う。

自分への「ごめん」、というのも、あった。今日、プリンを食べた直後に、私は、頭の中で、自分に「あ、ごめん」と言った。言った相手は、自分だった。

プリントのsorryを、私は、丸で囲まないことにした。囲むと、囲んだ意味を、説明しないといけなくなる。次の問題に、進んだ。

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本作はアヤのシリーズ番外編「アヤのことばのメモ」第四作。水曜の放課後、駅前のチェーンのカフェで、ホットを頼んだはずがアイスで出てきて、レジに戻って「ごめんなさい、これじゃなくて」と訂正する。責任は自分にはないが、相手を咎めない距離のために、半分、自分から引き受ける言葉を先に置く。家に帰り、兄が冷蔵庫に置いていたプリンを、兄のものと知らずに、食べてしまう。「ごめん、お兄ちゃんの、プリン、食べた」と、軽く謝る。兄は「いいよ、明日、買ってくる」とゲームを再開する。家の中の「ごめん」は、深くは潜らない。夜、英語の宿題のなかのsorryを、丸で囲まずに、次の問題に進む。同じ三音が、レジの男の人、兄、ミユ、ほぐすクラスメイト、それぞれによって、別々の重さの引き出しに入っている。義務論者のアヤは、責任を引き受けるとは、線をまっすぐ引くことだけではない、ということに、ぼんやり気づいている。(東「すみません、の、いくつか」と主題は隣接するが、本作は「ごめん」の側、家族・店員・友人の、より親密なレイヤーを扱う。)

このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。登場人物・場面はフィクションです。