東、高校二年、五組。土曜の昼前、玄関のチャイムが鳴った。お向かいのおばさんだった。手にお皿を持っていて、上にラップ。「いちじく、たくさん採れたから」と言って、お皿をこちらに渡してくれた。母が出かけていたので、わたしが受け取った。
「すみません、いつも、ありがとうございます」とわたしは言った。おばさんは、ふっと笑って「お互い様だから」と言って、戻っていった。
お皿を持ったまま、しばらく玄関に立っていた。「お互い様」という五音が、頭の中で、まだ薄く鳴っていた。
うちはおばさんの家に、最近、何かをした覚えがない。母がときどき、何かのお返しに、何かを持っていっているのは知っている。けれど、いちじく一皿に対して「お互い様」と言ってもらえるほどの、つりあう何かを、最近は渡していない。
それでも、おばさんは「お互い様」と言った。
つりあっていない、ということを、おばさんはたぶん知っている。知っていて、それでも「お互い様」と言うことで、つりあいの話を、ふっと、外したのだと思う。
「お互い様」を英語にしようとして、いくつか並べてみた。
「We're even」。これは「貸し借りなし」のニュアンス。お互いに、ちょうど同じだけ渡し合った、という清算の感じ。けれど、おばさんの「お互い様」は、清算ではない。むしろ、清算しないことを選んでいる、という温度だった。
「It's mutual」。これは「双方向」。お互いに、という方向の感じは拾える。けれど、未来の含みが、抜ける。「お互い様」のなかには、「これまで」だけでなく「これから」も、薄く入っている。
「Don't worry about it」。これは近い。気にしないで、という感じは、確かに「お互い様」の一面ではある。けれど、これだと、いちじくが「気にするほどのものではない」というニュアンスが強くなる。「お互い様」のなかには、いちじくの価値を軽く見る感じは、たぶんない。
「That's life」。人生の相互性、みたいな大きな話に飛びすぎる。玄関で、いちじくを渡してすぐに言うには、重い。
「We help each other out」。これは、いちばん近いかもしれない。助け合ってる、という温度。けれど、五音が一文になってしまう。「お互い様」の四音の軽さが、文の長さのなかで、ふっと、消える。
並べてみて、気づいた。
「お互い様」は、過去の貸し借りを清算する言葉ではなくて、未来までを含んだ言葉だった。「いつかわたしも、あなたから何かをもらうかもしれない」「いつかあなたも、わたしから何かを受け取るかもしれない」という、まだ来ていない時間の方向を、ふっと、開いている。
だから、いちじく一皿に対して、こちらが何も返していなくても、おばさんは「お互い様」と言えた。今は、おばさんからこちらへの一方向。けれど、未来のどこかで、別の方向の何かが、たぶん、起きる。起きないかもしれない。起きるとも限らない。それでも、その方向を、言葉のなかに、開いておく。
「We're even」だと、その瞬間に関係が清算されて、終わる感じがする。「お互い様」は、関係を、終わらせない。むしろ、続ける方向に、ふっと、押す。
月曜の三限、鈴木先生の倫理。先週、休んだ友達がいて、その日のノートが、わたしの机にだけ取ってあった。授業のあいだ、隣の席のカナが、わたしのノートを横目で見ながら、何度かペンを動かした。前の単元のノートを、取り損ねていたらしい。
授業のあと、カナが「ノート見せてくれてありがとう」と言った。「お互い様」とわたしは答えた。言ってから、自分の口から自然に出たことに、ふっと、驚いた。
カナとわたしは、何度かノートを見せ合っている。先週はわたしがカナのを見たし、その前はカナがわたしのを見た。今回は、カナがわたしのを見た。だから、清算の意味で「お互い様」と言うことも、できた。けれど、たぶんわたしが言いたかったのは、清算のほうではなかった。
「これからもまた、わたしのノートが取れない日が、たぶん来る。そのとき、また見せてね」という、未来の方向。それを、四音のなかに、たたんで、渡した。
ハッケンサックの小学校で、誰かに「Thank you」と言うと、相手はだいたい「You're welcome」か「No problem」と返してきた。
「You're welcome」は、丁寧で、礼儀正しい。けれど、いま思うと、その瞬間でお礼が完結する感じがする。あなたのお礼は、ちゃんと受け取りました、という、受領の合図。受領で、いったん、関係が一区切りつく。
「No problem」は、軽くて、フランクで、好きだった。「気にしないで」という温度が、ある。けれど、これも、その場で完結する。未来の方向は、たぶん、含まない。
ハッケンサックの友達のお母さんが、わたしに何かをしてくれて、わたしが「Thank you」と言うと、お母さんは「You're so welcome, sweetie」と返してくれることが多かった。あの温度は、温かかった。けれど、温かさのレイヤーと、未来の方向のレイヤーは、別だった。
「お互い様」は、温かさのレイヤーは少し薄いかもしれない。けれど、未来の方向を、しっかり、開いている。どちらが優れている、という話ではなくて、どのレイヤーを、どの言葉が、どれくらい運ぶか、という配分の話だった。
「お互い様」が機能するのは、たぶん、相手と自分のあいだに、その瞬間、非対称があるとき。
おばさんからこちらへ、いちじく一皿。こちらからおばさんへは、何もない。非対称。
カナがわたしのノートを見る。わたしはこの瞬間、何も返していない。非対称。
母が、隣のうちから何かをしてもらって、お礼を言って、相手から「お互い様ですから」と返ってくる。非対称。
「お互い様」は、その非対称を、ふっと、水平に戻す装置だった。本当は水平ではない。けれど、言葉のなかでだけ、いったん、水平になる。水平になっているあいだに、関係は、未来の方向に、もう一歩、進む。
清算しないで、未来に開いたまま、関係を続ける。そのための、四音だった。
「お互い様」を英語に訳すと、レイヤーがいくつにも分かれる。「We're even」「It's mutual」「Don't worry about it」「That's life」「We help each other out」。それぞれが、それぞれのレイヤーを拾う。けれど、四音のなかに、これらが薄く折り重なって、未来の方向まで含んで運ばれている、という形は、英語のひと言には、たぶん入らない。
入らない、ということは、欠けている、ということではない。英語には、別のやり方で、人と人のあいだの、終わらせない関係を、機能させる別の言葉が、たぶん、ある。「I'll get you back next time」とか、「You'd do the same for me」とか。それぞれの言語が、それぞれのやり方で、非対称を、続けていく。
玄関に置いた、いちじくのお皿を、台所に運んだ。母が帰ってきたら、おばさんが来たことを、伝える。たぶん、母も「お互い様ですからって、おっしゃってたよ」と、わたしから聞いて、そのうち、何かを、おばさんの家に、持っていく。
四音は、そうやって、家のなかにも、ご近所のあいだにも、ふっと、残っていく。訳せないままで、隣に、置いておく。
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→ 第一稿への辛口レビュー
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← 関連:すみません、の、いくつか(東のことばのメモ #2)
← 関連:隣に、置いて、答える(東のシリーズ最終話)
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本作は東のシリーズ番外編「ことばのメモ」シリーズ第4話。お向かいのおばさんからいちじくをもらって「すみません」と言ったら「お互い様」と返ってきた。月曜の倫理の前、カナにノートを見せて「ありがとう」と言われたとき、わたしの口からも自然に「お互い様」が出た。「お互い様」を英語にしようとすると「We're even」「It's mutual」「Don't worry about it」「That's life」「We help each other out」と、それぞれが別のレイヤーを拾う。「We're even」だと清算で関係が終わる。「お互い様」は、終わらせない。未来の方向に、いつかまた助けてもらうかもしれない、という互酬性を含んで、相手と自分のあいだの非対称を、ふっと水平に戻す装置だった。ハッケンサックの「You're welcome」や「No problem」は、その場で完結する温かさ。「お互い様」は、その場で終わらせず、未来へ開く。訳せないものは、訳せないままで、隣に、置いておく。(本作は第一稿。批判ページと第二稿あり。)