お盆
茅野と、親戚の集まり——茅野のトロッコ問題シリーズ #6

茅野、高校二年、二組。八月の中旬、お盆。父方の親戚が、十人ほど、家に、集まった。父方の祖父母は、もう、いない。祖父母の代わりに、父の兄弟と、その家族が、年に一度、お盆に、私たちの家に、来る。私たちの家が、いちばん、広いから、というのが、表向きの、理由だった。

親戚

朝、家の前に、車が、二台、並んだ。父の、兄夫婦と、いとこたち。それから、もう一台、軽自動車。父の、いちばん下の弟。

私が、子供の頃から、年に一度、会っている人たち。けれど、子供の頃、私は、ほとんど話さなかった。中学に上がってから、少しずつ、挨拶くらいは、するように、なった。それでも、深く、話したことのない、いとこも、おじさんも、いた。

もうひとり、車から、降りてきた。父の、お父さんの、弟の、息子の、おじさん。父にとっては、いとこ。私から見れば、遠い親戚。年に一度、お盆だけ、会う。それ以外の場面で、会ったことは、ない。年は、たぶん、七十前後。

「久しぶり、大きくなったね」と、おじさんは、言った。

「ご無沙汰しています」と、私は、答えた。

おじさんは、頷いた。それ以上、言葉は、なかった。

食事のあと

昼食は、母が、お寿司を、頼んだ。十人で、リビングと、和室を、開け放して、長いテーブルにした。父の兄が、ビールを、飲んでいた。いとこたち(高校生と、中学生と、小学生)が、リビングの隅で、ゲームの話を、していた。

食事のあと、母が、台所で、片付けをしながら、私の方を、見て、「お茶、点ててくれない?」と、言った。

「皆さんに?」

「うん、十人分」

「十人分、だと、時間が、かかります」

「いいよ、ゆっくりで」

私は、和室に、行って、道具を、出した。家の道具と、客用の、いくつかの茶碗。十人分の、抹茶も、棚に、用意してあった。母は、たぶん、最初から、私が、点てる、ことを、想定していた。

十人

和室に、親戚を、迎え入れた。十人が、座布団に、ぐるりと、座った。順番に、ひとりずつ、お茶を、点てた。

父の兄。「整ってるね」と、笑った。

父の兄の妻。「お点前、続けてるんだ」と、言った。

いとこたち(高校生、中学生、小学生)。「苦い」と、小さい子は、言った。「飲める」と、高校生のいとこは、言った。

父の弟。「君、進学、どうするの?」と、お茶を、飲みながら、聞いた。「まだ、決めていません」と、私は、答えた。

父の弟の妻。「立派だね」と、何度も、言った。

その間、ずっと、所作を、繰り返した。湯を、注ぐ。茶筅で、点てる。茶碗を、出す。お辞儀をする。そして、また、湯を、注ぐ。

同じ所作の、繰り返し、なのに、十人それぞれの、反応で、私の、所作の、温度が、毎回、わずかに、違っていた。シズクが、言っていた、「点てる側と、飲む側の、両方の、毎回の違い」が、今、目の前で、起きていた。

最後の人

九人目までを、点てた。最後に、残ったのは、遠い親戚の、おじさんだった。

おじさんは、和室の、奥の隅で、ずっと、静かに、座っていた。他の親戚が、みんな、お茶を、もらって、リビングに、戻っていったあとも、おじさんは、動かなかった。

「お待たせしました」と、私は、言って、おじさんの前に、お茶を、置いた。

おじさんは、両手で、茶碗を、軽く、回した。回し方は、慣れていた。回した、というよりは、回ったのを、両手で、受け止めた、という形に、見えた。

「いただきます」

ひとくち、飲んだ。それから、しばらく、何も、言わなかった。和室の、奥の窓から、夏の光が、斜めに、入っていた。

「整っているね」と、おじさんは、言った。

「ありがとうございます」

「私も、若い頃に、少し、習った」

「茶道、ですか」

「茶道。けれど、もう、四十年、点てていない」

「四十年」

「妻と結婚する前まで、続けていた。結婚してからは、点てていない」

おじさんは、お茶を、もう一口、飲んだ。

「四十年、たっても、整ったお茶を、見ると、自分の、若い頃の、稽古を、思い出す」

「思い出すんですね」

「四十年、点てていないのに、思い出す、というのは、たぶん、私の体の、どこかに、まだ、稽古の、残りが、ある、ということだ」

残り

「残り、ですか」

「うん。点てる、ということを、もう、しなくなって、四十年。手は、覚えていない、と、思っていた。けれど、君のお茶を、見ていて、所作の、順番が、頭の中で、ふっと、出てきた。出てきた、ということは、覚えていた、ということ」

「覚えていた」

「忘れる、ということと、覚えていない、ということは、たぶん、違う。忘れていても、覚えている。覚えていない、と思っていても、何かを見たときに、出てくる」

「出てくる、というのは」

「身体の、どこかに、残っている、ということ」

おじさんは、茶碗を、最後まで、飲んで、両手で、置いた。お辞儀を、した。

「ご馳走さまでした」

「ご馳走さまでした」

「お祖母ちゃんに、似ているね、お点前が」と、おじさんは、言った。

「お祖母ちゃん?」

「君のお祖母ちゃん。私の、いとこの妻。母方の、お祖母ちゃん。私も、若い頃、お祖母ちゃんと、一緒に、稽古していた、時期がある」

「そうだったんですか」

「お祖母ちゃんの、お点前を、覚えている。整っていた。そして、君の、お点前は、お祖母ちゃんの、若い頃に、似ている」

私は、何も、答えられなかった。お祖母ちゃんの、若い頃の、お点前を、私は、見たことがない。けれど、おじさんは、見ていた。そして、おじさんの中に、お祖母ちゃんの、若い頃の、お点前の、形が、四十年たっても、残っていた。

残っていたから、私のお点前を、見て、似ている、と、言えた。

夕方、和室で

夕方、親戚が、みんな、帰った。家には、私と、母と、父と、妹が、残った。和室は、静かに、なった。

道具を、片付けながら、おじさんの言葉を、思い出していた。

四十年、点てていなくても、整ったお茶を、見ると、稽古が、思い出される。手は、覚えていなくても、何かは、覚えている。

これは、お祖母ちゃんの、「すり切れたあとの、芯」と、似ている。お祖母ちゃんは、五十年以上、稽古を、続けて、芯が、残った。おじさんは、四十年、稽古を、止めて、それでも、芯が、残っていた。

続けても、止めても、稽古した、ということは、身体の、どこかに、残る。

残るということが、徳の、形なのかもしれない。残るのは、自分のためだけ、ではない。今日、おじさんの中に残っていた、お祖母ちゃんの、若い頃の、お点前の形が、私のお点前と、結び直された。お祖母ちゃんも、おじさんも、私も、別の場所で、別の時間で、点てていた。けれど、所作の、芯が、四十年と、五十年と、二年弱を、超えて、結ばれた。

結ばれる、というのが、たぶん、徳の、もうひとつの、形だった。

夜、ベッドで、天井を、見ていた。

お盆は、明日、終わる。明日の朝、親戚は、それぞれの場所に、戻る。今日の、十人分の、お茶を点てた、和室は、もう、いつもの和室に、戻っている。

けれど、十人それぞれの、身体の、どこかに、今日のお茶が、残っている。残っている、というのは、いつか、何かを見たときに、ふっと、立ち上がる、可能性を、持っている、ということだった。

立ち上がる、ということは、結び直される、ということだった。

誰かと、誰かが、別の場所、別の時間で、結ばれる、というのは、たぶん、徳が、生きている、ということだった。

生きている、というのは、私だけでは、ない。今日のお茶を、飲んだ、十人と、四十年前のお祖母ちゃんと、いまのお祖母ちゃんと、私を、含む、全員の、稽古の、芯が、それぞれの場所で、生きている。

生きていることが、続いていく。続いていくものを、私は、これから、続ける。続けるのが、私の、稽古だった。

明日も、和室に、行く。お茶を、点てる。点てたお茶は、誰かが、飲む、かもしれない、私だけが、飲む、かもしれない。どちらでも、点てる、ということに、変わりは、ない。

点てる、ということが、たぶん、いまの、私の、生き方だった。

→ 終話:話しかけない(二学期の教室、茅野のトロッコ問題シリーズ #7・最終話)
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← 関連:答えは、出る(同じ二組の森田)
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【茅野のトロッコ問題シリーズ予告】
本作はシリーズ第6話。お盆、親戚十人にお茶を点てる。最後に出会った、四十年点てていない遠い親戚のおじさんが、整ったお茶を見て、若い頃の稽古を思い出す。「忘れていても、覚えている」「身体の、どこかに、残っている」——「すり切れたあとの芯」(kayano-03)が、止めた人の中にも残る、という発見。徳が、別の時間・別の場所で、結ばれる。お祖母ちゃんの若い頃のお点前と、茅野のお点前が、おじさんの中で、結び直される。

このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。登場人物・場面はフィクションです。