東、高校二年、五組。月曜の三限のトロッコ問題から、四日が経った、金曜の放課後。学校から、駅まで、徒歩で、九分。授業が、終わって、教室で、カナと、月曜にカナと食べるお弁当の話を、軽くしてから、別れて、駅に、向かった。駅に、近づくと、ロータリーの、横の、植え込みのところに、紙の地図を、広げている、外国人の親子が、立っていた。
母親と、子ども。子どもは、十歳くらいの、女の子。母親は、四十代くらいで、白人。たぶん、英語圏の、観光客。スマホでも、調べられる時代に、紙の地図を、広げているのは、紙のほうが、好き、ということなのか、それとも、海外で、データ通信を、節約しているのか、わからない。
ふたりは、地図を、見ながら、何かを、話していた。母親が、駅の、看板を、見上げて、また、地図を、見て、首を、軽く、傾げていた。
わたしは、いつも通りの、歩く速度で、ふたりの、横を、通り過ぎようとした。
母親が、こちらに、視線を、向けた。一瞬、目が、合った。
「Excuse me」と、母親は、言った。「Do you speak English?」
こうした、状況で、答え方は、いくつか、ある。「A little」と、控えめに、答える方法。「Yes」と、はっきり、答える方法。「I'm sorry, I'm in a hurry」と、断る方法。
わたしは、立ち止まった。
「Yes, I do」と、答えた。
母親は、笑顔に、なった。子どもは、母親の、後ろから、わたしを、見上げていた。
「Oh, thank goodness! We're trying to get to the Tokyo National Museum in Ueno. We have a map, but I'm not sure if we should take this train, or transfer somewhere」
地図を、見せられた。上野の、博物館に、行きたい、らしい。
頭の中で、いくつかの、ルートが、浮かんだ。最寄りの駅から、直通で、行く方法は、ない。一回、乗り換える、必要がある。乗り換えの、駅は、二、三、ある。母娘の、移動だから、わかりやすい、ルートを、選びたい。
わたしは、地図の、上に、指を、置いて、説明した。
「You can take the local train from this station, get off at the next major stop, and transfer to the Yamanote Line. Ueno is about four or five stops from there. The whole trip should take maybe thirty minutes」
母親は、頷きながら、聞いた。子どもは、わたしの、英語を、目を、丸くして、聞いていた。
「Will the signs be in English?」と、母親が、聞いた。
「Yes, definitely. The Tokyo train system has English signs everywhere. You'll be fine」
「Even at the smaller stations?」
「The transfer station is a major one, so yes. And Ueno is one of the biggest stations, you can't miss it」
母親は、安心したように、笑った。「Thank you so much. That's such a relief」
「You're welcome」
「Your English is wonderful」と、母親は、続けた。「Where did you learn?」
「Where did you learn?」
この問いは、何度か、聞かれたことが、あった。中学のときも、高校に、入ってからも、英会話の、塾の、新しい先生に、会ったときにも、似た問いが、あった。答え方は、ほぼ、決まっていた。
「I lived in New Jersey for five years when I was younger」
母親は、頷いた。
「Oh, that explains it! Such great experience for a kid. New Jersey is lovely」
「Yeah, it was a great experience」と、わたしは、相槌を、打った。
「Well, thank you again for the directions. We really appreciate it」
「You're welcome. Have a great trip!」
「Thank you, you too!」
母娘は、駅の、改札の、方に、歩いていった。子どもは、振り返って、わたしに、軽く、手を、振った。わたしも、軽く、振り返した。
ふたりが、改札を、通って、見えなくなった、あとも、わたしは、植え込みの、近くで、立っていた。
「That explains it」が、頭の中で、響いていた。
説明された、ということ。
「I lived in New Jersey for five years when I was younger」が、わたしの、英語の、説明だった。短くて、簡潔で、明確。母親は、それを、聞いて、すぐに、納得した。「That explains it」。それで、説明が、ついた。
説明が、つく、というのは、たぶん、観光客と、わたしの、文脈で、成立する、種類の、説明だった。観光客は、道を、聞きたかった。わたしは、道を、教えた。英語が、なぜ、話せるか、というのは、雑談の、続きとして、聞かれた、軽い、問いだった。「ニュージャージーで、五年」で、観光客の、軽い、問いには、十分、答えていた。
けれど、「ニュージャージーで、五年」の、向こうに、入っていない、ものが、たくさん、あった。
ジェイコブから、火曜の夜に、五年ぶりに、メッセージが来た、こと。カナのお祖母ちゃんの、台北の、果物屋さんの、こと。母の、Stop & Shop の、お惣菜コーナーの前で、立ち止まっていた、最初の半年、こと。ミセス・ロドリゲスが、ベネズエラから、お祖父さんの代から、来ていた、こと。「アメリカ」も、「日本」も、「家族」も、塊じゃ、なかった、こと。
これらは、「I lived in New Jersey for five years」では、説明されない。説明されないけれど、わたしの中に、ある。
説明されない、というのは、悪いこと、では、ない。観光客と、わたしの、二分の、対話には、説明されないものは、必要なかった。「ニュージャージーで、五年」で、十分。それぞれの、対話の、文脈には、その文脈に、ふさわしい、説明の、深さが、ある。
説明できる、ものが、ある。説明されない、ものも、ある。両方が、いつでも、わたしの中に、隣に、置かれている。観光客との、対話では、説明できる、ものを、出す。カナとの、お弁当の対話では、もう少し、深いところを、出す。母との、台所の対話では、また別の、深さで、出す。
応答の、深さが、文脈ごとに、変わる。これも、文脈主義の、一つの、形だった。
植え込みの、横で、立っていたわたしは、改札の方に、歩き出した。改札を、通って、ホームの、階段を、上がった。電車を、待つあいだ、ベンチに、座った。
頭の中で、もうひとつのことが、立ち上がっていた。
観光客の母親にとって、わたしは、「英語が話せる、感じのいい、日本の女子高生」だった。それが、観光客の、文脈での、わたしの、像だった。
カナにとって、わたしは、「アメリカに、五年いた、隣の席の、新しい友達」。お弁当を、一緒に、食べる、相手。お祖母ちゃんの、台湾の話を、聞いてくれた、人。
ジェイコブにとって、わたしは、「五年前の、ハッケンサックの、五年生のときの、クラスメイトの、あずま」。インスタで、軽く、メッセージを、交わした、五年ぶりの、相手。
母にとって、わたしは、「ハッケンサックで、別の街を、生きてた、娘」。台所で、お皿を、拭いてくれる、家族。
父にとって、わたしは、たぶん、また別の、何か。鈴木先生にとっても、別の、何か。月曜の、五組の、教室の、ほかの、二十七人にとっても、それぞれ、別の、何か。
これらの、像の、どれが、本当の、わたしか、と、聞かれたら、たぶん、どれも、本当だった。どれも、わたしだけど、どれも、わたしの、すべて、では、ない。
文脈ごとに、わたしの、像が、変わる。これは、たぶん、わたしが、不誠実、ということでは、ない。文脈に、応答している、ということだった。観光客に、「お祖母ちゃんが、台湾で生まれた、カナの話」を、しても、たぶん、ずれる。母に、「That explains it」と言って、別れた、観光客の話を、するのは、できる、けれど、母にとっての、わたしの像とは、別のところにある。
わたし、という人間は、塊じゃ、ない。たくさんの、文脈の、束として、たくさんの、像で、存在している。それぞれの、像が、それぞれの、文脈で、固有。
これは、わたしが、これまで、考えてきた、文脈主義が、自分自身にも、向かう、ということだった。「アメリカ」も「日本」も「家族」も、塊じゃ、なかった。「わたし」も、塊じゃ、なかった。
電車が、ホームに、滑り込んできた。乗り込んで、ドアの近くに、立った。窓の外で、夕方の光が、ビルの、ガラスに、当たって、跳ね返っていた。
電車が、動き出して、駅が、後ろに、流れていった。
頭の中で、観光客の母親の、子どもの顔を、思い出した。子どもは、わたしの、英語を、目を、丸くして、聞いていた。あの子どもにとって、わたしは、「お母さんが、道を、聞いた、知らない、日本の、お姉さん」だった。子どもは、たぶん、わたしのことを、明日には、忘れる。または、覚えていても、夕食の、話題に、ちらっと、出る程度。
その、薄い、繋がりも、文脈の、ひとつ、だった。深い、繋がりだけが、文脈、ではない。一瞬の、対面、すれ違い、も、固有の、文脈。それぞれの、文脈に、それぞれの、応答が、ある。
カナとの、お弁当の、対話。母との、台所の、対話。ジェイコブとの、SNSの、対話。観光客との、駅前の、対話。それぞれが、別の、深さで、別の、応答だった。どれが、深い、どれが、浅い、と、優劣を、つけるのは、たぶん、違う。それぞれの、文脈で、それぞれの、応答が、ふさわしい。
ふさわしさ、を、選ぶ、というのが、たぶん、応答の、形だった。
これは、月曜の、トロッコ問題への、応答にも、繋がる、はず。鈴木先生は、「自分なりに、考えてみてください」と、言った。自分なり、というのは、自分一人の、塊の、考え、では、たぶん、ない。たくさんの、文脈の、束を、持ったまま、月曜の、教室の、その、瞬間に、ふさわしい、応答を、選ぶ、ということだった。
選ぶ、けれど、塊にしない。複数の、文脈を、隣に、置いたまま、その日の、教室で、ふさわしい応答を、出す。出した応答が、月曜の、教室では、わたしの、答えに、なる。けれど、わたしの、すべて、では、ない。
家に着いて、夕食を、食べて、自分の部屋に、戻った。ベッドに、寝そべって、天井を、見ていた。
金曜の、駅前の、観光客のこととを、もう一度、思い出した。
「Where did you learn?」と、母親は、聞いた。「I lived in New Jersey for five years when I was younger」と、わたしは、答えた。「That explains it」と、母親は、納得した。
説明された。
説明された、というのは、観光客の、文脈で、十分、ということ。けれど、わたしの、文脈では、「ニュージャージーで、五年」だけでは、たぶん、足りない。わたしの、文脈には、ジェイコブも、カナのお祖母ちゃんも、母のハッケンサックも、ミセス・ロドリゲスのベネズエラも、入っている。
説明できる、わたしと、説明されない、わたしが、両方、ある。両方が、隣に、置かれている。どちらかを、本物、ということは、しない。文脈ごとに、ふさわしい、深さで、応答する。
明日は、土曜日。学校は、休み。家にいるか、母と、買い物に、行くか、まだ、決めていない。日曜日も、たぶん、家にいる。月曜が、来る。月曜の、三限。鈴木先生が、また、五組の、教室に、来る。
月曜まで、まだ、三日、ある。三日のあいだに、答えを、組み立てるか、組み立てないまま、行くか、まだ、わからない。組み立てきれない、まま、応答する、というのも、応答の、形。
応答の、形は、いくつも、ある。文脈ごとに、ふさわしい、形が、ある。月曜の、教室の、文脈には、月曜の、教室の、応答が、ある。それを、その瞬間に、選ぶ。選んだ、応答が、わたしの、答え、として、その瞬間に、立ち上がる。立ち上がった、答えは、月曜の、教室の、文脈での、わたしの、答え。それで、十分。
十分、と、思える、ことが、増えていた、ような、気がした。月曜の、最初の、トロッコ問題の、ときよりも、いまのほうが、十分、と、思える、こと、が、増えていた。それぞれの、文脈で、ふさわしい、応答を、選ぶ、ということが、見えてきていた。
窓の外で、街灯が、ふたつ、灯っていた。土曜日の、朝が、来る前の、金曜の、夜の、薄い、光だった。
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← 関連:所作の中で(二組の茅野)
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【東のトロッコ問題シリーズ予告】
本作はシリーズ第5話。金曜の放課後、駅前で、観光客の母娘に英語で道を聞かれる。上野の博物館までの行き方を説明する。母親が「Where did you learn?」と聞き、東は「I lived in New Jersey for five years」と答える。「That explains it」と母親は納得する。説明された、ということ。けれど、その説明の向こうに、説明されないものが、たくさん、ある。観光客にとっての東、カナにとっての東、ジェイコブにとっての東、母にとっての東——文脈ごとに、像が、違う。「わたし」も、塊じゃ、ない。たくさんの像が、隣に、置かれている。応答の深さは、文脈ごとに、ふさわしさで、選ばれる。月曜まで、あと三日。