東、高校二年、五組。月曜の三限のトロッコ問題から、五日が経った、土曜日の、午後。母は、買い物に、出ていて、父は、ゴルフから、まだ、帰ってきていない。家は、静かだった。宿題は、午前中に、終わらせた。リビングで、ソファに、座って、ぼーっと、天井を、見ていた。立ち上がって、本棚の、前に、行った。
リビングの、本棚は、母のもの、だった。父の、本は、別の、書斎の、棚に、ある。母の本棚には、文庫本が、多い。料理の本、エッセイ、小説。古いのと、新しいのが、混ざっている。
背表紙を、目で、辿った。途中で、止まった。
『異邦人』アルベール・カミュ。新潮文庫、窪田啓作訳。背表紙は、少し、黄ばんでいた。母が、若い頃に、買ったもの、だろうと思う。
火曜の夜、ジェイコブから、メッセージが、来た、その中で、彼が、書いていた本だった。「The Stranger by Camus」。アメリカの、ハイスクールの、十一年生で、英語の授業で、読む、らしい。「I kinda relate haha」と、彼は、書いていた。
本を、抜き出した。文庫本の、表紙は、カミュの、若い頃の、写真。煙草を、咥えた、白黒。
ソファに、戻って、最初のページを、開いた。
「きょう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かもしれないが、私にはわからない」
有名な、最初の文。中学のとき、サンデルの本と一緒に、母の本棚で、ちらっと、見た記憶があった。けれど、続きを、読んだことは、なかった。
「ママン」が、カタカナで、書かれている、ことに、目が、止まった。日本語の小説で、母を、「ママン」と、呼ぶ、ことは、ない。これは、フランス語の、外来語、として、訳者が、残した、表現だった。
スマホを、出して、英語版の、冒頭を、検索した。
「Maman died today. Or yesterday maybe, I don't know.」
マシュー・ウォードの、訳。1988年。ジェイコブが、ハイスクールで、読む、のも、たぶん、これ。
英語版でも、「Maman」は、フランス語の、ままに、残されていた。「Mother」と、訳されている、別の版も、ある、らしい。けれど、新しい訳では、「Maman」を、残す、のが、主流、らしい。
もうひとつ、検索した。フランス語の、原文。
「Aujourd'hui, maman est morte. Ou peut-être hier, je ne sais pas.」
フランス語は、わからない。けれど、「maman」は、たぶん、フランス語の、子どもの、母への、親密な、呼び方、らしい、と、検索結果に、書かれていた。「mère」が、もっと、距離の、ある、呼び方。
三つの、言語で、同じ、ひと文だった。けれど、温度が、違っていた。
日本語の「ママン」は、外来語として、距離が、ある。読んでいる、わたしは、「ママン」を、自分の、母とは、結びつけない。
英語の「Maman」は、フランス語の、ままに、残されている。英語圏の、読者にとっても、これは、フランス語、で、外側の、響き。
フランス語の「maman」は、フランス語の、子どもの、いちばん、親密な、呼び方。フランス語が、わかる人にとっては、距離が、ない。
三つの、言語で、同じ語の、距離が、違う。
続きを、読み進めた。
主人公は、ムルソー、という、若い、独身の、男。母が、養老院で、亡くなって、葬式に、行く。葬式で、ムルソーは、泣かない。煙草を、吸って、コーヒーを、飲んで、眠そうにしていた。周りの人が、ムルソーの、その態度を、奇妙に、思う。
葬式から、戻って、ムルソーは、海に、行く。海岸で、若い女性、マリイ、と、出会う。彼女と、その晩、過ごす。何日か、経って、近所の人と、海岸に、行ったときに、ある事件が、起きる。ムルソーは、人を、撃って、しまう。
裁判が、始まる。検事は、ムルソーが、母の葬式で、泣かなかった、ことを、問題に、する。ムルソーが、人を、殺した、ことよりも、母の葬式で、泣かなかった、ことが、彼の、人格の、問題、として、扱われる。
ムルソーは、最後に、死刑判決を、受ける。判決のあと、独房で、ムルソーは、考える。自分は、社会の、文脈に、合わない、応答を、してきた。社会は、それを、許さなかった。けれど、ムルソーは、自分の、応答が、間違っていた、とは、思わない。社会の、応答と、ムルソーの、応答が、ずれていた、というだけ、だった。
そこまで、読んで、ソファに、本を、置いた。
ムルソーは、文脈に、合わせない、応答を、した。「葬式では、泣くべき」という、社会の、文脈に、合わせなかった。それだけで、社会は、ムルソーを、断罪した。
これは、相対主義/文脈主義から、見ると、深い、問いだった。文脈ごとに、ふさわしい、応答が、ある、と、わたしは、これまで、考えてきた。けれど、ムルソーの、文脈は、「自分の、感情に、忠実でいる」だった。社会の、文脈は、「葬式では、泣く」だった。両者の、文脈が、ずれた。社会は、自分の、文脈で、ムルソーを、判断した。
ムルソーは、誠実だった、と、思う。けれど、社会的に、誠実、ということと、自分の、感情に、誠実、ということは、ずれていた。
玄関の、ドアの音が、した。父が、ゴルフから、戻ってきた。
「ただいま」と、父は、リビングに、入ってきた。
「おかえり」
父は、ソファの、わたしの、手元の、本に、目を、止めた。
「お、それ、お母さんの本」
「うん、本棚から」
「カミュ。難しいよ、けど、意外と、読みやすい英語で、書かれてる」
「お父さん、読んだことあるの?」
父は、ソファに、近づいて、自分の、ジャケットを、椅子の背に、かけた。
「ハッケンサックで、近所に、ジョン、っていうエンジニアが、住んでて、その人に、英語版を、貸してもらった。お父さん、英語、苦手なんだけど、ジョンは、ゆっくり、話してくれた、から、本も、ゆっくり、読んでみよう、って、気になって」
「ジョン、覚えてないな」
「あなた、たぶん、四回くらい、家で、夕食を、一緒に、したことが、あるよ。当時、四十代の、白人の、独身の、エンジニア。あんまり、子どもに、構わない人、だったから、印象、薄いかも、しれない」
「そうかも」
「ジョンは、ハッケンサックの、エンジニアだったけど、本が、好きで、ときどき、お父さんに、本を、貸してくれた。カミュも、その中の、ひとつ」
「お父さん、ハッケンサックで、本、読んでたんだ」
「読んでたよ。日本に、戻ってからは、仕事ばっかりで、あんまり、読まないけど」
父は、自分用の、お茶を、淹れに、台所に、入っていった。
わたしは、本を、両手で、持ったまま、しばらく、ソファに、座っていた。
父の、ハッケンサックは、母が、語っていた、「職場と、通勤と、たまの家族で出かける場所」だけでは、なかった。父にも、ジョン、という、隣人が、いた。ジョンが、貸してくれた、英語の本が、あった。父は、それを、ゆっくり、読んでいた。
「お父さんの、ハッケンサック」も、塊じゃ、なかった。
父が、お茶を、持って、リビングに、戻ってきた。ソファの、向かいの、椅子に、座った。
「あなた、月曜の、倫理で、何か、考えてる、って、お母さんから、聞いた」
「うん、トロッコ問題」
「お父さんも、新人研修で、似た話、教えられた」
「サラリーマンの研修で?」
「エンジニアの、意思決定論、っていうの。設計判断の、訓練、として、習った」
「お父さんの、答え、何だった?」
「ふつうに、五人、救う方を、選ぶ。けど、お父さんの、答えより、ジョンの、答えのほうが、面白かった」
「ジョンの、答え?」
「ジョンは、こう言ってた。『その状況に、自分が、置かれない、ことが、いちばん、大事だ』って」
「置かれない、こと?」
「うん。トロッコ問題は、状況の、設計の、問題なんだ、って、ジョンは、言ってた。レバーが、ある場所に、人を、置かないこと。線路の、配線を、安全にする、こと。状況の、手前で、解く、問題、なんだ、って」
「状況の、手前で、解く」
「うん。レバーを、引くか、引かないか、を、選ぶ前に、レバーが、ある状況、そのものを、なくす、ように、設計するのが、エンジニアの仕事、だ、って」
父は、お茶を、ひとくち、飲んで、続けた。
「お父さんは、それを、聞いて、なるほど、って、思った。エンジニアの、応答の、形。倫理学者の、応答とは、ちょっと、違う」
「うん」
「あなたも、月曜、自分なりに、考えて、答えを、出すんでしょ。お父さんは、口は、出さない。あなたの、答えは、あなたの、答え」
「うん」
父は、お茶を、もう、ひとくち、飲んで、立ち上がった。「お父さん、汗、流してくる」
父は、お風呂の、ほうに、行った。
ひとりに、なって、カミュの、続きを、読んだ。
ムルソーが、独房で、神父を、追い返す、場面。神父が、ムルソーに、神を、信じるように、勧める。ムルソーは、それを、拒む。社会の、文脈に、合わせるように、しない、ムルソーの、最後の、姿勢。
最後の、ページに、ムルソーの、独白。「世界の優しい無関心の前に、心を開けて、私は、自分が、幸福だった、と、悟った。今もなお、幸福である、と。」
ムルソーは、社会から、断罪されたあと、最後に、自分の、固有の、応答が、自分の中に、残っている、ことを、悟る。社会の、文脈とは、ずれているが、自分の、文脈で、ムルソーは、固有だった。固有のまま、ムルソーは、死刑に、向かう。
本を、閉じた。
ムルソーは、極端な例、だった。社会の、文脈と、自分の、文脈が、最後まで、ずれていた、人。社会と、対立して、断罪された、人。
わたしは、ムルソーとは、違う。わたしは、文脈ごとに、ふさわしい、応答を、選んできた。観光客には、「I lived in New Jersey for five years」。カナには、「並べないで、隣に、置く」。母には、自分の、ハッケンサックを、語る。それぞれの、文脈で、ふさわしい、応答。
でも、ある部分で、ムルソーと、わたしは、似ている、のかもしれない。ムルソーは、社会の、塊の、応答(「葬式では、泣く」)を、拒んだ。わたしも、塊の、応答(「アメリカでは」「日本では」「家族は」)を、解体してきた。塊への、抵抗、という点で、ムルソーと、わたしは、別の形だが、似ている。
ムルソーは、塊への、抵抗を、極端に、突き詰めて、社会と、対立した。わたしは、塊を、解体しながら、文脈に、応える。両方が、塊への、抵抗の、別の形。
そして、父の、ジョンの言葉、「状況の、手前で、解く」も、塊への、抵抗の、もうひとつの、形だった。レバーを、引くか、引かないか、という塊(二択)を、解体する。状況そのものを、別の、設計に、する。
塊への、抵抗の、形は、いくつも、ある。義務論、功利主義、徳倫理、ケアの倫理、相対主義、エンジニアリング、文学。それぞれが、それぞれの、塊への、抵抗の、形。
これらが、隣に、置かれている、というのが、いまの、わたしの、見え方だった。
夜、自分の部屋で、ベッドに、寝そべって、天井を、見ていた。
カミュの『異邦人』は、半分くらい、読んで、半分は、明日、読む。
月曜まで、あと、二日。日曜日が、ある。日曜日の、終わりに、月曜が、来る。月曜の、三限。鈴木先生が、また、五組の、教室に、来る。
応答を、組み立てる、というのは、たぶん、もう、要らない。応答は、その瞬間に、立ち上がる。立ち上がった、応答が、その瞬間の、文脈で、ふさわしい、応答。組み立てる、というのは、塊を、作る、ことに、近い。塊を、作らない、ということが、わたしの、応答の、芯。
ムルソーが、社会と、対立しながら、固有性を、保ったように、わたしも、塊を、解体しながら、固有性を、保つ。固有性は、塊じゃ、ない、けれど、固有。塊じゃ、ないからこそ、文脈ごとに、別の像で、立ち上がる。立ち上がった、像のひとつひとつが、固有。
これが、たぶん、わたしの、応答の、形だった。
明日、日曜日。カミュの、続きを、読む。月曜が、来る。月曜の、教室で、わたしは、何かを、応答する。応答が、何になるか、まだ、わからない。わからない、ままで、月曜に、向かう。
窓の外で、街灯の、光が、薄く、揺れていた。土曜の夜の、住宅街は、静かだった。父は、もう、寝室で、寝ているかもしれない。母は、台所で、明日の、準備を、している、ような、音が、薄く、聞こえてきた。
家の中で、家族の、三人が、それぞれ、別の、文脈を、生きていた。それぞれの、文脈で、それぞれの、応答を、選んでいた。三人の、応答が、ひとつの、家を、作っていた。
ひとつの家、というのも、塊じゃ、ない。三つの、応答の、束、として、家が、あった。
それで、十分、だった。
→ 終話:隣に、置いて、答える(月曜の三限、もう一度、東のトロッコ問題シリーズ #7・最終話)
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← シリーズ #2:五年ぶりに、英語で
← シリーズ #1:日本では
← 関連:先生、納得がいきません(一組のアヤ)
← 関連:答えは、出る(二組の森田)
← 関連:所作の中で(二組の茅野)
← 関連:おはよう(四組の中島)
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【東のトロッコ問題シリーズ予告】
本作はシリーズ第6話。土曜の午後、母の本棚で、第2話でジェイコブが言及していたカミュの『異邦人』を見つけ、読み始める。日本語、英語、フランス語、三つの「ママンが死んだ」の冒頭。語の距離が、言語ごとに違う。ムルソーは、社会の塊の応答を拒み、自分の固有の応答を貫いて、断罪される。父がゴルフから帰宅し、ハッケンサックの隣人ジョン(エンジニア)から借りた本だった、と語る——「お父さんのハッケンサック」も塊じゃなかった。ジョンの「状況の手前で、解く」というエンジニアの応答。義務論、功利主義、徳倫理、ケアの倫理、相対主義、エンジニアリング、文学——塊への抵抗の形は、いくつもある。組み立てる、ではなく、その瞬間に、応答が、立ち上がる。