蓮見、高校二年、三組。土曜の三回忌から一日経った、日曜の昼。母が作った煮物と味噌汁とお握りをお盆に載せて、本堂の脇の離れに運ぶ。離れには祖父がひとりで住んでいる。先代の住職で、八十二歳。十二年前に祖母が亡くなってから、ずっとひとり暮らしだ。
離れは六畳と四畳半の二間と、小さな台所と縁側。庭に向かって縁側が伸びていて、紫陽花の若葉と、池の鯉が見える。祖父は縁側の藤の椅子に座って、新聞を広げていた。
「お祖父ちゃん、お昼」
「ああ、ありがとな」
祖父は新聞を畳んで、縁側に置いた。お盆を縁側の縁に載せて、二人で並んで座る。土日の昼は時々こうして一緒に食べる。母が「お祖父ちゃんがひとりだとね」と言って、僕が運ぶ係になっている。
「煮物、よくできてるな」
「お母さんは煮物が得意だから」
「うん。お祖母ちゃんよりは少し甘いがな」
祖父はゆっくり食べる。歯はしっかりしているが、噛む速度が、僕と比べると半分くらい。お握りを半分残して、お味噌汁をすすった。
「きょうの朝のお参りはなかったのか」
「日曜は午前中が一件あったけど、もう終わって、午後はないって」
「そうか」
祖父は遠くの紫陽花を見ながら、湯のみのお茶を飲んだ。庭の池で、鯉が水面を破る音がした。
食べ終わって、お盆を台所に下げに行った。台所のついでに祖父の机の脇を通ると、何冊か古い帳面が積まれているのに目が止まった。表紙が黒っぽくて、紙が黄ばんでいる。
縁側に戻って、祖父に聞いた。
「お祖父ちゃん、机のあれ、過去帳?」
「ああ、過去帳だ。いま、お盆の手紙を出す前に、見直していたところだ」
「見てもいい?」
「見ても面白くないだろうけどな。来なさい」
離れの六畳に上がって、祖父の机の前に座った。祖父も藤の椅子から机の方に移ってきた。
過去帳は四冊あった。いちばん古いのは表紙の文字が薄れていて、明治の年号が読めた。次が大正、昭和、最後が平成と令和。それぞれ別の冊子になっている。
祖父が昭和の冊子を開いてくれた。和綴じで、縦書き。各行に戒名、俗名、没年月日、享年、施主などが小さな字で書き込まれている。父の代わりに、祖父の代わりに、祖父の父の代わりに、何代もの住職が、筆で記してきた記録だった。
「これ、ぜんぶ、うちのお寺の檀家の方?」
「そうだ。明治のはじめにこの地にお寺ができてから、ずっとうちで送ってきた人たちだ」
「何人くらい?」
「数えたことはないが、四冊で、たぶん千人を超えている。明治の冊子だけで二百人、大正で百五十人、昭和でいちばん多くて六百人くらいか。平成と令和は、まだ百人台」
「千人」
「うん。お祖父ちゃんが住職になってから、お祖父ちゃんが導師でお参りした人だけで、たぶん三百人を超えている。お父さんが導師になってからの分も、お祖父ちゃんがお手伝いで関わった分は、ある」
祖父は昭和の冊子の、ある一頁を開いた。指で行をなぞる。
「これは、お祖父ちゃんが住職を継いだばかりの頃のお参りだ。三十二歳のときだった。先代——お祖父ちゃんのお父さんがちょうど亡くなって、お祖父ちゃんが導師に立った最初の年」
「それで、お参りされた方が」
「向井さん。漁師さんで、四十代で病気で亡くなった。奥さんとお子さんが三人、そのときは小学生だったかな」
「奥さんとお子さん三人。四人の遺族」
「うん、四人だった」
祖父の指は、向井さんの一行の上で止まっていた。一行に書かれているのは、戒名と俗名と没年月日と享年だけ。一行の中に、四人の遺族の悲しみは入っていない。けれど、向井さんは確かにいて、確かに四人の家族と暮らしていて、四十代である日亡くなった。
祖父はゆっくり頁を捲った。次の頁にも別の名前があった。その次の頁にも。一頁に二十人くらい、年代順に並んでいる。
頁を捲るあいだ、僕は祖父の指の動きを見ながら、頭の中で、ひとつのことを考えていた。
過去帳の中で、ひとりの命は一行の文字で書かれている。けれど、それぞれの一行の背後には、家族がいて、関係がいて、それぞれの「五人と一人」の規模の関わりがあった。千人を超える名前が、千を超える別々の関係の流れの結節点になっていた。
金曜の三限のトロッコ問題は、「五人」と「一人」を抽象的な単位として比べる問いだった。けれど、過去帳のひとつひとつの一行が、すでに、それぞれの「五人」と「一人」の問いを、別の形で抱えていた。向井さんが亡くなったとき、奥さんと三人の子どもが残された。向井さんの「一人」は、奥さんと子どもにとっては、一人ではなかった。一人の死で、四人の人生が変わった。
過去帳を捲り続ければ、千を超える、別々の「一人」と、それぞれの「五人」が、流れていく。それぞれが固有で、それぞれが交換できない。
「お祖父ちゃん」
「うん」
「学校で、トロッコ問題っていうのを、ならったの。線路の上に五人いて、別の線路に一人いて、レバーを引くか引かないかで、どちらかが助かる」
「ああ、聞いたことがある。哲学の問いだったかな」
「うん。先生が、自分なりに考えてみてください、って。けど、僕の中で、なんかうまく考えられなくて」
「うまく考えられない」
「五人を、五人としてまとめて、一人を、一人としてまとめて、比べる、というのが、ぴんとこなくて。お寺で見ているのと、ずれている気がして」
祖父はしばらく過去帳の頁を見ていた。それから、ゆっくり頁を閉じた。
「お祖父ちゃんは、五十年お参りをしてきて、五人と一人を比べる、ということは、たぶん、一度もしたことがない」
「うん」
「向井さんを送ったとき、向井さんの奥さんとお子さん三人は、向井さんの一人と、自分たちの四人を、比べていただろうか。たぶん、比べていなかった。比べる、ということが、できなかった、というのが正確かもしれない。残された四人は、向井さんがいない世界をどう生きるか、という問いの中にいて、比べる側の問いの外に、いた」
「比べる側の、外」
「うん。比べる、というのは、外から見ている人がする作業だ。中にいる人は、比べることができない。比べる、という距離が、取れないから」
祖父はそこでお茶を一口飲んだ。
「学校の問題は、たぶん、外から見る練習なんだろう。それも、悪くはない。練習として、必要かもしれない。けれど、外から見たことで、中の景色が見えなくなる、ということもある。お祖父ちゃんが五十年お参りで見てきたのは、中の景色の方だな」
過去帳を、祖父はもう一度開いた。今度は最後の頁、令和の冊子の、いちばん新しい記載のあたり。先週の月曜に亡くなった、おじいちゃんの名前があった。父が書いた字だった。
「先週のおじいちゃん、ここに入ったんだ」
「うん。お父さんが入れてくれた」
「明日からは、もう、過去帳の中の人になるんだね」
「そういうことになる。けれど、過去帳の中の人になっても、家族の中ではまだ生きている、ということは、別の話だ。記録上は過去だが、暮らしの中では現在、ということが、しばらく続く」
「土曜の三回忌の御祖父さんが、台所で声が聞こえる気がする、って言ってた」
「ああ、二年経つと、そんな感じかな。十年経つと、また少し違う感覚になる。三十年経つと、もう一度、別の形になる」
「お祖父ちゃんは、お祖母ちゃんが、十二年前」
「十二年前。お祖父ちゃんの中で、お祖母ちゃんは、まだ毎日いる、というほどではなくなった。けれど、いない、というのとも違う。離れの中の、どこかにいる、というくらいだな」
「離れの中の、どこか」
「居場所が決まっていないが、いることは、いる。そういう感覚だな」
祖父は過去帳を閉じて、机の上に重ねた。
僕はもうひとつ、聞いてみたいことがあった。
「お祖父ちゃんは、なんで、五十年もお参りを続けてきたの?」
祖父は少し考えた。
「やめる理由がなかったから、というのが、いちばん近いかな」
「やめる理由」
「お参りに来てくれる家族が、毎月毎月いる。来てくれるあいだは、こちらが導師に立つ。来なくなったら、こちらも止める。けれど、家族はだいたい、来続ける。三十三回忌、五十回忌、もっと先まで来る家もある。来てくれるあいだは、お祖父ちゃんは止められない」
「来てくれるから、続ける」
「うん。深い理由はない。ただ、続いている、という事実だけがある」
離れを出るころには、空が傾いて、紫陽花の若葉が西日を受けていた。お盆を母屋に戻して、母にお茶碗を渡した。
「お祖父ちゃん、元気だった?」と母。
「うん、ふつう」
「お話、できた?」
「過去帳、見せてもらった」
母は「ああ、お祖父ちゃん、お盆の前は過去帳ばかり見ているからね」と笑った。
自分の部屋に戻って、机に座った。金曜のトロッコ問題のプリントが机の上にまだ置いてあった。
過去帳の千を超える名前が、頭の中でゆっくり流れていた。明治の名前、大正の名前、昭和の名前、平成の名前、令和の名前。それぞれの一行に、それぞれの家族の流れがあった。
祖父の言葉が、頭の中で繰り返された。「比べる、というのは、外から見ている人がする作業だ」「中にいる人は、比べることができない」。
金曜の三限の問いは、外から見ている問いだった。線路の上に五人がいて、別の線路に一人がいて、レバーを引くか引かないかを選ぶ。これは、線路の外から、安全な距離で、レバーの近くにいる「あなた」が、選ぶ問い。
過去帳の中の千を超える名前は、線路の中にいた人たちだった。線路の中にいた人は、比べる、という作業をしない。自分の生を生きる、それだけ。
外から見る視点と、中にいる視点。両方とも、たぶん必要なのだろうと思う。けれど、外から見るだけだと、中の景色が見えなくなる。お寺の感覚は、中の景色の側に、ずっと寄り添ってきた。
夜、ベッドに寝そべって、天井を見ていた。
祖父の言った「やめる理由がなかったから」が、頭の中で響いていた。深い理由はない。ただ、続いている、という事実だけがある。
これは、お参りの続け方の話だったが、たぶん、トロッコ問題への応えのかけらにも、なる。「五人と一人を比べる」という問いに対して、過去帳の中の千を超える名前は、比べる、という距離を取らないで、ただ、続いてきた。続いてきた、という事実だけがある。
「比べないで、続ける」「外から見ないで、中で生きる」というのが、お寺の流れだった。これは、教室で先生に答える応えとしては、たぶん、扱いにくい。教室の問いは、外から見る練習として組まれている。中の側の応えは、教室の文脈ではすぐにずれる。
けれど、ずれたまま、応えるしかない場面もある。先生の「自分なりに考えてみてください」の「自分」が、お寺の中の自分だとしたら、応えは、外の比較の側ではなく、中の流れの側から、出てくる。
来週の金曜まで、まだ五日ある。お盆も近い。お盆になれば、また何家族もが本堂に来る。お参りの中で、流れを見続ける。それが、来週の応えの芯になっていくのだろうと思う。
窓の外で、本堂の屋根の輪郭がうっすら見えた。離れの方で、祖父が灯りをつけている気配があった。八十二歳の祖父も、夜の時間を、自分の流れの中で過ごしていた。
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【蓮見のトロッコ問題シリーズ予告】
本作はシリーズ第3話。日曜の昼、本堂の脇の離れに住む祖父(先代の住職、八十二歳)に昼食を運ぶ。机の脇に積まれた四冊の過去帳——明治、大正、昭和、平成令和。千を超える名前。祖父が住職になりたての頃、最初に導師を務めた向井さん(漁師、四十代で病死)の一行。「五人と一人を比べる、ということは、たぶん、一度もしたことがない」と祖父。「比べるというのは、外から見ている人がする作業」「中にいる人は比べることができない」。過去帳の千の名前は、それぞれの「五人と一人」の関係の結節点だった。お寺の感覚は、中の景色の側に寄り添ってきた。祖父「やめる理由がなかったから」——五十年続けたわけ。