蓮見、高校二年、三組。日曜の祖父の離れから一晩経った、月曜の朝。五時半に目覚ましが鳴って、布団から出た。学校は八時半始まりだから、月曜の朝は早起きしなくてもいい。けれど、月曜の朝は父と境内の掃き掃除をすることにしている。週末の二日のあいだに枯葉やほこりが溜まって、月曜の朝にいちばん多く落ちている。
作務衣に着替えて、本堂の脇の物置から竹箒を出した。父はもう境内に出ていた。山門の手前のあたりを掃いていた。父の竹箒の音が、まだ薄暗い境内にゆっくり響いていた。
「おはよう」と父が言った。
「おはよう」
僕は本堂の正面の方から掃き始めた。父が山門側、僕が本堂側、二人で挟み込むように掃いて、真ん中で枯葉を集める。これがいつもの段取りだった。
四月の朝はまだ少し冷える。作務衣の上から薄手のジャンパーを羽織っていたが、手は冷たかった。竹箒の柄を握り直して、ゆっくり掃いた。竹箒の音は乾いた音で、コンクリートの参道にぱたぱたと当たっては離れる。
境内の桜は、もう花が散って、若葉が出始めていた。先週までは桜の花びらをずいぶん掃いた。今週は枯葉と、たまに花びらの残りと、それからどこから来たのかわからない小さな枝。
父は黙々と掃いていた。父との作務はだいたい無言だった。会話するために掃いているわけではない。掃いているあいだに、もし会話が起きれば起きるし、起きなければ起きないままで、月曜の朝の四十分が過ぎる。
本堂の右脇、境内の片隅に、小さな地蔵がある。子どもの頃から、ずっとそこにいる地蔵だ。雨ざらしの石の地蔵で、頭巾も前掛けも、檀家の誰かが時々取り替えてくれている。
地蔵の足元に、一束の花が置かれていた。
菜の花と、白い小花と、枝物が一本。スーパーの花束ではなく、自分で庭から摘んできたか、町の花屋で組んでもらったような、控えめな束。
水を入れた小さな竹筒に挿してあった。竹筒は地蔵の足元にいつも置いてあるもので、水だけ入れ替えれば誰でも使える。
僕は竹箒を止めて、しゃがんで、花を見た。今朝置かれたばかりらしく、菜の花の茎の切り口がまだ濡れていた。
父が気づいて、こちらに来た。
「ああ、また田中さんの娘さんだ」と父は言った。
「田中さんの娘さん?」
「先週の月曜にも置いてくれていた。半年前から毎週月曜の早朝、地蔵に花を置いていく方だ」
「半年前から、毎週」
「うん。父がご病気で亡くなって、その四十九日の頃から、ね」
父は竹箒を地蔵の脇に立てかけて、地蔵の前に少しだけ屈んだ。手を合わせるでもなく、ただ花を見ていた。
「田中さんは去年の十一月に亡くなった檀家さんで、八十一歳。糖尿病からの合併症で、最後は入院されていた。お参りに来てくださった方は六人、奥さんと、息子さん夫婦と、娘さん夫婦の、計六人だった」
「六人」
「うん。いまも月命日のお参りには六人で来てくださる。八月の一周忌も、たぶん六人で揃うだろう」
「けれど、この花は、娘さんがひとりで」
「うん。月曜の朝、家を出て会社に行く前に、地蔵の前に花を置いて、本堂には上がらずに、そのまま会社に行ってしまうようだ」
「お参りには来ないで?」
「お参りは、月命日にご家族で来てくださる。けれど、それとは別に、毎週月曜、ひとりで地蔵に花を置く。これは、お参りとは別の、たぶん別の場所での話なんだろう」
父は屈んだ姿勢を解いて、立ち上がった。
「会ったことは?」
「いや、お父さんは会ったことがない。来られるのは早朝で、お父さんがまだ朝のお勤めの最中の時間だ。気配だけ、本堂の方にいて、ふっと感じることがある。境内の方で誰かが竹筒の水を替えている音とか。けれど、お顔を合わせたことはない」
「向こうも、お父さんに会わずに、戻っているのかな」
「そうだろうな。会わずに戻ることが、たぶん、向こうにとっても、こちらにとっても、いい間合いなんだろう」
父は山門の方に戻って、また竹箒を動かし始めた。僕は地蔵の前にしばらく屈んだまま、菜の花の黄色を見ていた。
頭の中に、金曜の三限のトロッコ問題と、土曜の三回忌の四人と、日曜の祖父の過去帳が、また並んだ。
田中さんが亡くなって、お参りに来た六人。月命日には六人で揃って来る。けれど、別の場所で、毎週月曜にひとりで花を置きに来る娘さん。
「六人」とまとめると、その娘さんが、毎週月曜の早朝、家を出る前に、地蔵に花を置いて、本堂に上がらずに会社に行く、その一連の流れが、見えなくなる。娘さんの中にある田中さんと、奥さんの中にある田中さんと、息子さんの中にある田中さんは、たぶん別の形で、それぞれの場所で、続いている。
同じ六人で来るお参りが、家族の中の流れの全部ではない。お参りの場面の外で、それぞれの一人が、それぞれの形で、亡くなった父親と関わり続けている。月曜の朝の地蔵の前は、娘さん一人と田中さんの場所。月命日の本堂は、六人と田中さんの場所。お盆の墓参りは、また別の場所。
同じ田中さんが、それぞれの場所で、別の形になる。
金曜の三限のトロッコ問題は、ある一瞬の、線路の上の場面を切り取った問いだった。「五人」「一人」を、ある一瞬の数として固める。けれど、お寺で見ているのは、ある一瞬の数ではなく、何ヶ月も何年も続く、別々の場所での流れだった。地蔵の花は、その流れの、月曜の朝の一場面だった。
掃き掃除は四十分くらいで終わった。集めた枯葉を裏の堆肥に入れて、竹箒を物置に戻した。
本堂の前で父と落ち合って、二人で本堂に入った。父は導師の席に着いて、蝋燭と線香に火を入れた。僕は本堂の右奥に座った。
朝のお勤めは二十分くらい。父の読経の声と、蝋燭の小さな火と、線香の煙。境内では地蔵の花がまだ朝の光の中にいるはずだった。
読経のあいだ、田中さんの娘さんのことを、頭の片隅で考えていた。会ったことのない人。父も会ったことがない人。けれど、毎週月曜、必ず花を置いていく。地蔵の前で、たぶん短い時間、何かを心の中で語って、それから会社に行く。会社で、平日の仕事をして、夕方家に帰って、家族で食事をする。次の週の月曜、また花を置く。
続いている流れは、お寺の側からは見えない。地蔵の前の花だけが、流れの薄い影として、毎週月曜の朝に置かれている。影だけ見て、流れの本体は見ない。それでいい、というのが、お寺の間合いなのだろうと思った。
朝のお勤めが終わって、父と一緒に住居の方に戻った。母が朝食を用意していた。父はラジオを点けて、ニュースを聞きながら、ご飯と味噌汁を食べた。
「お父さん」と僕は言った。
「うん」
「ひとつ聞いていい?」
「うん」
「お父さんは、なんで住職を続けてるの?」
父はラジオの音を少し小さくして、味噌汁を一口飲んだ。
「祖父さんに同じことを聞いたか」
「日曜に聞いた。やめる理由がなかったから、って言ってた」
「ああ、お祖父ちゃんらしい答えだな。お父さんも、半分は同じだ。やめる理由がない、というのは、共通している」
「半分は」
「うん。お父さんはお祖父ちゃんと違って、住職を継ぐ前に、五年だけ会社員をやっていた時期がある。一度外に出て、戻ってきた。だから、続けるかどうかを、一度選び直した世代だ」
「そっか」
「五年で会社をやめて住職に戻ったのは、外の仕事が嫌だったわけじゃない。外の仕事も悪くなかった。けれど、お寺の作務の方が、自分の手に馴染んだ」
「手に、馴染んだ」
「うん。理由を言葉にすると、嘘っぽくなる。馴染んだ、というのが、いちばん近い」
父は味噌汁を飲み終えて、ご飯茶碗を持ち直した。
「お祖父ちゃんは、続けることに、ほとんど何も問わなかった世代。お父さんは、一度問うて、戻ってきた世代。お前が住職になるかならないかは、お前の世代の問い方で、決めればいい」
「うん」
「決めなくてもいい。決めなきゃいけないわけでもない。決めない、ということを、決めるのも選択だ」
父はそれだけ言って、ラジオの音を少しだけ大きくした。会話はそこで切れた。
朝食のあと、自分の部屋に戻って制服に着替えた。鞄を背負って、玄関で靴を履いた。母が「いってらっしゃい」と言った。
「いってきます」
山門を出て、自転車置き場へ向かった。地蔵の前を通るときに、もう一度、花を見た。朝日が当たって、菜の花の黄色が朝より少しだけ濃く見えた。
田中さんの娘さんは、もう会社に着いている時間だろう。何の会社なのか、僕は知らない。父も知らない。お参りで会う日には、月命日の家族の一人として、お辞儀をしてお経を聞いて、お焼香をして、お茶を飲んで、帰る。それ以外の場所で、毎週月曜、ひとりで地蔵に花を置く。二つの場所での田中さんとの関わり方は、たぶん少し違っている。
金曜の三限の問いに、これがどう繋がるか、まだ言葉にならない。けれど、繋がっていることは、感じる。
線路の上の「一人」と「五人」は、線路の上の一瞬の数だった。お寺で見ているのは、線路の上ではない、別の場所での、長い流れだった。
線路の外で、地蔵の前で、誰かがひとりで花を置く。線路の問いには入っていない、けれど、確かにある。
夜、自分の部屋でベッドに寝そべって、天井を見ていた。月曜の一日が、頭の中でゆっくり流れた。
朝の境内の竹箒の音、地蔵の前の菜の花、父の「手に、馴染んだ」、朝食のあとのラジオ。
父の言葉が、頭の中で繰り返された。「お祖父ちゃんは、続けることに、ほとんど何も問わなかった世代。お父さんは、一度問うて、戻ってきた世代。お前が住職になるかならないかは、お前の世代の問い方で、決めればいい」。
三代の住職の続け方が、それぞれ違っていた。祖父は問わずに続けた。父は問うて戻った。僕はまだ問うてもいないし、戻ってもいない。三代のあいだで、続け方の形が変わってきている。同じ「住職を続ける」という事実の中に、三つの違う流れが入っていた。
これも、お寺の感覚の一部だった。同じ言葉、同じ役割、同じ場所であっても、続け方の形が、世代によって違う。形が違うことが、続けることそのものを否定しない。むしろ、形が違うままで続いていくことが、続くということの中身なのかもしれない。
金曜まで、あと四日。月曜の今日、地蔵の花と、父の言葉と、朝の境内の竹箒の音が、頭の中の束に加わった。火曜の朝にも、たぶん何か別のものが加わる。水曜にも、木曜にも。金曜の三限が来るまでに、束は増え続ける。
増えた束のどれが、教室で言葉になるか、まだわからない。言葉にならないまま、束のまま持っていく、ということでもいいのかもしれない。父が「言葉にすると、嘘っぽくなる」と言っていたとおり、言葉にしないことで、残るものもある。
窓の外で、地蔵のあるあたりは、もう夜の闇に沈んでいた。明日の朝、また父と境内を掃く。月曜とは別の枯葉が、火曜の朝には落ちている。
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【蓮見のトロッコ問題シリーズ予告】
本作はシリーズ第4話。月曜の早朝、父と境内の掃き掃除。境内の片隅の地蔵の足元に、菜の花の一束。半年前に亡くなった檀家・田中さん(八十一歳)の娘さんが、毎週月曜の早朝、本堂には上がらずに地蔵にだけ花を置いて会社に行く。同じ田中さんを、月命日の本堂では六人で、月曜の朝の地蔵では娘さんひとりで——別々の場所で別々の形で関わり続けている。朝食で蓮見が「なんで住職を続けるの」と聞く。父は「やめる理由がない、はお祖父ちゃんと同じ。けれど、お父さんは一度外に出て戻ってきた世代」「手に、馴染んだ」と短く答える。三代の住職の続け方は、同じ役割の中で、それぞれ違う形をしていた。