東、高校二年、五組。火曜日の部活が早めに終わった。バレー部の一年生がまだコートでボール拾いをしていて、二年と三年の何人かはストレッチを続けていた。わたしは荷物をまとめて、体育館の出口のところで、ふっと振り返って言った。「お先に失礼します」。
三年の先輩が「おつかれー」と返してくれた。一年生の何人かは小さく頭を下げた。それで、わたしは体育館を出た。
渡り廊下を歩きながら、頭の中で別の声が立ち上がった。「お先に失礼します」って、英語でなんて言うんだろう。
ハッケンサックの放課後を思い出してみた。バスケのクラブが終わって、誰かが先に帰るとき、ロッカールームでみんなはどう言っていたか。「See you tomorrow」「Bye」「Later」「Have a good one」。それくらいだったと思う。「I'm leaving first, sorry」と言う子は、たぶんいなかった。
「I'm leaving first, sorry」と直訳して、もしハンナに言ったとしたら、ハンナは少し戸惑ったはずだ。なぜ謝るのか、と。先に帰ることは、別に悪いことではない。練習はもう終わっているし、自分のぶんは終わった。なのに、なぜ申し訳なさそうにするのか。
渡り廊下の真ん中で、もうひとつ気がついた。「お先に」は、向きが、ふたつある。
「お先にどうぞ」と「お先に失礼します」は、同じ「お先に」で始まるのに、指している方向が逆だ。
「お先にどうぞ」は、相手に先に行ってもらうとき。エレベーターのドアを押さえて、相手を先に通すとき。英訳なら「After you」がいちばん近い。「After you」は、自分が後、相手が先。自分が譲る側。
「お先に失礼します」は、自分が先に行くとき。自分が先で、相手が後。英訳するなら「I'll go ahead」とか「I'm heading out」あたり。自分が抜ける側。
同じ三音が、譲るのにも使えるし、抜けるのにも使える。譲るときの「お先に」と、抜けるときの「お先に」は、実はぜんぜん別の身ぶりなのに、頭の三音が、揃っている。日本語のなかでは、その三音のあとに「どうぞ」が来るか「失礼します」が来るかで、向きが決まる。けれど、頭の「お先に」だけ取り出すと、向きは決まっていない。
英語では、譲るのは「After you」、抜けるのは「I'll go ahead」と、頭から別の表現になる。日本語のように、最初の三音をふたつの場面で共有する、という構造には、たぶんなっていない。
体育館を出るときに言った「お先に失礼します」のなかには、いくつのレイヤーが入っていただろう。歩きながら、ひとつずつ取り出してみた。
五つのレイヤーが、八音のあいだに薄く折り重なっていた。英語に訳そうとすると、それぞれを別の表現が拾っていく。
「I'll go ahead」は、自分が先に行く、というレイヤー。けれど、申し訳なさのレイヤーは、ここには入っていない。
「Excuse me」は、場を抜ける、というレイヤー。エレベーターを降りるときや、人の前を通るときに使う「Excuse me」と、近い温度。けれど、別れの挨拶ではない。
「See you tomorrow」は、別れの挨拶のレイヤー。明日また会う、という前提の確認。けれど、ここには「自分が先」というニュアンスは、特に含まれていない。
「Sorry to leave first」は、申し訳なさのレイヤーをいちばんはっきり拾う。けれど、これは、英語ネイティブにはたぶん不思議に響く。なぜ先に帰ることを謝るのか。
「After you」は、向きが逆の「お先に」。譲る側の「お先に」を引き受ける。けれど、抜ける側の「お先に」とは、別の場面でしか使えない。
五つの英語表現で、五つのレイヤーをばらして並べることはできる。けれど、それを八音のひと続きに戻すことは、たぶんできない。
そういえば、カナはよく「お先」と言って手を振る。「お先に失礼します」の、後ろ半分を落とした言い方。月曜の倫理の授業のあと、わたしがまだノートを直しているうちに、カナが先に教室を出るとき、ドアのところで振り返って「お先」とだけ言って手を振る。
三音が、二音になっている。礼節のレイヤーが、薄く削られている。けれど、申し訳なさのレイヤーは、二音のなかに、まだ残っている。「先に行くね、ごめんね」の、ごめんねの薄い影が、二音のあいだに、たぶん入っている。
カナの「お先」を英訳するなら、「See you」とか「Bye」が近い。けれど、「See you」のなかには、ごめんねの影は、入っていない。「See you」は、ただの別れだ。カナの「お先」のなかには、別れと、自分が先という確認と、ごめんねの薄い影が、二音のあいだに折り重なっている。
削っても、レイヤーが、消えていない。短くしても、運ばれている。それが、ちょっと面白かった。
家の「お先に」も、考えてみた。
夜、お風呂を上がって、リビングに戻るとき、わたしはよく「お先に」と母に言う。母はソファでドラマを見ていて、まだお風呂に入っていない。「お先に」と言うと、母は「はあい」と返す。
このときの「お先に」は、体育館の「お先に失礼します」とも、カナの「お先」とも、また少し違う温度だ。家庭内なので、礼節のレイヤーは、ほとんど薄い。けれど、自分が先にお風呂を済ませた、という確認と、母がまだなのに先に上がってしまった、というほんの軽い気配は、三音のあいだに残っている。
これを英訳するなら、なんになるだろう。アメリカの家庭で、お風呂やシャワーを先に使ったあとに、家族に何か言う習慣そのものが、あったかどうか、思い出せない。ハッケンサックでは、シャワーを浴びて、出てきて、特に何も言わなかった気がする。シャワーを先に使うこと自体が、宣言の対象になっていなかった。
日本では、お風呂を上がるときの「お先に」が、家庭のなかの、ちいさな時間の区切りになっている。誰が先に入って、誰がまだ入っていないか、を、三音が薄く確認する。確認しないままで進むことも、もちろんできる。けれど、三音を入れると、家のなかの時間が、すこしだけ整う。
ハッケンサックの五年間で、「先に帰る」という場面は、たくさんあった。クラブのあと、誰かの家のプレイデートのあと、放課後のサッカーの練習のあと。先に帰る子は、たいてい「See you」「Bye」「I gotta go」と言って、それで済んでいた。
「I gotta go」のなかには、たぶん、軽い「先に抜ける」のニュアンスはあった。けれど、申し訳なさのレイヤーは、そこには入っていなかった。「I gotta go」は、自分の都合で先に抜ける、という宣言で、残る人への配慮の言葉ではない。
「Sorry, I gotta go」と「Sorry」を頭につける子も、たまにいた。けれど、その「Sorry」は、たぶん、急ぎの予定があって途中で抜ける、という限定的な状況での「Sorry」だった。普通に練習が終わって先に帰る、というだけで「Sorry」をつけることは、あまりなかった気がする。
日本に戻ってから気づいたのは、ふつうに先に帰るときに、ほぼ必ず、申し訳なさのレイヤーがついてくる、ということだった。部活でも、教室でも、家庭でも。先に抜けることそれ自体に、軽い「ごめんね」が、初期設定として、ついている。
歩きながら、もうひとつ考えた。なぜ、日本語では、先に帰ることに、軽い申し訳なさがついてくるのか。
たぶん、それは、相手と自分が同じ場を共有していた、という確認に近い。バレー部の練習は、わたしひとりの練習ではなくて、みんなの練習だった。教室の掃除も、わたしひとりの仕事ではなくて、その日の当番みんなの仕事だった。お風呂は家族で順番に使っていた。同じ場を、同じ時間を、共有していた。
その共有から、自分だけが先に抜けるとき、共有が一時的に途切れる。途切れることそれ自体が、悪いわけではない。練習はもう終わっているし、自分のぶんは終わっている。けれど、共有が途切れる、という感覚を、三音か八音で、軽く確認する。確認することで、共有が、ぷつんと切れるのではなくて、しなやかに、ほどけていく。
「お先に失礼します」の申し訳なさは、たぶん、その「ほどけ方」を整えるためのレイヤーだった。深刻なお詫びではなくて、共有のほどき方の、ちいさな作法。
英語では、共有がほどけるとき、たぶん別の作法で整えている。「See you tomorrow」の、明日また会う、という確認。「Have a good one」の、相手のこのあとを軽く祝福する感じ。それぞれが、それぞれの整え方で、ほどけ方を扱っている。
「お先に」は、英訳するとレイヤーが切れる。譲る向きの「After you」、抜ける向きの「I'll go ahead」、場を抜ける「Excuse me」、別れの「See you」、申し訳なさの「Sorry to leave first」。それぞれを別の英語表現が、別々に拾う。けれど、日本語のなかでは、三音か八音のあいだに、これらが薄く折り重なって、ひとつの挨拶になる。
切れる、ということは、欠けている、ということではない。英語は英語のやり方で、共有のほどけ方を整えている。日本語は日本語のやり方で、ほどけ方の作法を、頭の三音に詰めている。両方とも、それぞれのやり方で、機能している。
明日もまた、わたしは部活のあと「お先に失礼します」と言う。教室で先に帰るときには「お先」とだけ言うかもしれない。お風呂を上がったら、母に「お先に」と言う。同じ三音が、別の場面で、別のレイヤーを薄く運んでくる。運ばれていって、相手のところで、ふっとほどける。
ほどける、ということが、たぶん、いちばん大事だった。訳せないものは、訳せないままで、隣に、置いておく。
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本作は東のシリーズ番外編「ことばのメモ」シリーズ第6話。火曜の部活のあと、体育館の出口で「お先に失礼します」と言って先に帰った。「お先に」を英語に訳そうとすると、譲る向きの「After you」、抜ける向きの「I'll go ahead」、場を抜ける「Excuse me」、別れの「See you tomorrow」、申し訳なさの「Sorry to leave first」のどれもが、ひとつのレイヤーしか拾えない。同じ三音が、譲るのにも使えるし、抜けるのにも使える。カナの「お先」、家でのお風呂上がりの「お先に」と、場面ごとに薄くレイヤーが折り重なっている。ハッケンサックでは「See you」だけで済んでいた、申し訳なさのレイヤーは初期設定としてついていなかった。共有のほどけ方を整える、ちいさな作法。訳せないものは、訳せないままで、隣に、置いておく。(本作は第一稿。批判ページと第二稿あり。)